横浜教区の歴史
1862年1月12日
横浜居留地80番(現山下町)に開国後初の教会堂である横浜天主堂(聖心聖堂)が献堂され、日本における再宣教の拠点となる。
1937年11月9日
東京教区から神奈川、茨城、栃木、群馬、埼玉、山梨、長野、静岡の8県が分離独立し、横浜教区として新設される。初代教区司教として東京教区大司教であったジャン・アレクシス・シャンボン大司教が任命される。
1938年2月20日
シャンボン大司教、着座。
1939年1月4日
埼玉、茨城、栃木、群馬の4県が浦和使徒座知牧区(現さいたま教区)として独立。
1939年3月21日
教区として初めての邦人司祭が誕生。(宮下禮造師)
1940年10月6日
シャンボン大司教引退。ペトロ土井辰雄東京教区大司教が横浜教区長代行。
1940年12月5日
ヨアキム井手口美代市師、横浜教区長(使徒座任命管理者)に任命される。
1941年1月20日
井手口師、着座。
1943年11月
井手口師、徴用派遣されていた香港で死去。
1944年10月9日
ラウレンチオ戸田帯刀師、横浜教区長(使徒座任命管理者)に任命される。
1944年10月22日
戸田師、着座。
1945年8月17日
戸田師、当時、教区長館が置かれていた保土ヶ谷教会にて何者かに射殺される。
ペトロ土井辰雄東京教区大司教が横浜教区司教を兼務。
1947年3月25日
トマ脇田浅五郎師、横浜教区司教に任命される。
1947年5月27日
脇田師、司教叙階、着座。
1951年5月
脇田司教、引退。
1951年12月9日
脇田司教の引退により、ルカ荒井勝三郎師が横浜教区司教に任命される。
1952年2月24日
荒井勝三郎師、司教叙階、着座。
1962年
日本再宣教100周年。一連の行事が横浜教区の主催で行われる。
1979年10月30日
荒井司教の引退により、東京教区補佐司教のステファノ濱尾文郎司教が横浜教区司教に任命される。
1980年1月15日
濱尾司教、着座。
1987年
教区設立50周年。16地区が設置される。
1998年6月15日
濱尾司教が教皇庁移住・移動者司牧評議会議長に任命され教区長の任を解かれる。
1999年3月16日
ラファエル梅村昌弘師、横浜教区司教に任命される。
1999年5月15日
梅村師、司教叙階・着座。
2012年
教区設立75周年。
2012年11月24日
横浜天主堂献堂150周年、日本再宣教150周年記念講演・感謝ミサがパシフィコ横浜国立大ホールにて行われる。