教区の歴史

横浜天主堂献堂前後にゆかりの深い主なパリ外国宣教会の宣教師たち

日本初代代牧区教区長フォルカードフォルカード
Forcade,Théodore-Augustin
(1816.3.2-1885.9.12)
日本初代代牧区教区長。ヴェルサイ
ユに生まれ、1839 年に叙階。1844 年、
日本語を学ぶため那覇に上陸する。
1846 年に日本代牧区教区長に任命
される。1847 年にはサモスの名義
司教に叙階される。日本上陸を強く
望んでいたが禁教下で実現出来ず。
1852 年に日本代牧区教区長を辞任
し、パリ外国宣教会も脱会し帰国
する。1853 年にグアドールプ司教、
1861 年にヌヴェール司教となり聖
ベルナデッタに修道会入りをすすめ
る。1873 年にエックスの大司教と
なる。同地に没す。


初代長崎教区・教区長プティジャンプティジャン
Petitjean,Bernard-Thadée
(1829.6.14-1884.10.7)
初代長崎教区・教区長。ブランジ
に生まれ、1853 年に叙階。1860
年から那覇で日本語を学習する。
1862 年に横浜に上陸。1865 年に
長崎・大浦天主堂が献堂し、同年
に浦上の信徒を発見する。1866
年に日本代牧区教区長に任命さ
れ香港で司教に叙階。1875 年に
日本教区を二分割する案が承認
され、南緯代牧区教区長となる。
1882 年に開国後最初の邦人司祭
叙階を行う。心臓発作により長崎
で没す。


日本国布教総責任者ジラールジラール
Girard,Prudence-Séraphin-
Barthélémy
(1821.4.5-1867.12.9)
日本国布教総責任者。アンリシュ
モンに生まれ、1845 年に叙階。
1855 年、日本再宣教準備のため、
フューレ師、メルメ師らと共に琉
球に渡る。1857 年に日本布教の総
責任者に任命される。1858 年の日
仏条約締結の際に総領事の通訳官
を務める。1862 年横浜に開国後最
初の天主堂を献堂する。横浜にて
没し、現在遺骨はカテドラル山手
教会祭壇左側の壁の中に葬られて
いる。


初代東京大司教オズーフオズーフ
Osouf,Pierre-Marie
(1829.3.26-1906.6.27)
初代東京大司教。ノルマンディー
に生まれ、1852 年に叙階。1856
年に香港に派遣される。1866 年
にアジア地域総代表になる。1975
年にパリ本部の神学校長に任命さ
れる。1876 年に日本北緯代牧区
教区長になるため日本司教に任命
される。1877 年に来日する。日
本北緯代牧区が東京教区と函館教
区に分割され東京教区は大司教区
に昇格され、初代東京大司教に就
任する。東京において病気で没す。


東海道筋の宣教に尽力テストヴィドテストヴィド
Testevuide,Germain-Leger
(1849.10.2-1891.8.3)
東海道筋の宣教に尽力。ティヴェ
に生まれる。1873 年に叙階。同
年に来日しプティジャン司教の
もとで日本語を学習する。1875
年より若い伝道士の養成と神奈
川、東海道筋の宣教に尽力し福
音の種を蒔いた。宣教活動の途
中で女性ハンセン病患者との出
会いがあり、ハンセン病患者の
世話を始め1889 年に神山復生病
院を設立。香港のサナトリウム
にて胃癌で没す。