横浜天主堂150周年

150周年記念メッセージ

パリ外国宣教会日本管区管区長 祝辞
パリ外国宣教会総長
シェガレ・オリビエ神父
 梅村司教様、飯野主任神父様、横浜教区の皆様、パリ外国宣教会の会員一同に代わり、横浜天主堂献堂150周年の慶びを申し上げます。今日、天主堂献堂の経緯や日本宣教再開のことに関する沢山の話が聞けましたが、その中でパリ外国宣教会の役割が注目を浴びたような気がしていて、非常に恐縮です。実際再開とそれに続いた150年間の宣教を支えて下さった人々は、求道者をはじめ、日本人の司教、司祭と信徒、多数の無名の方々であり、彼らにこそ感謝すべきであることと存じます。ところで挨拶として話に出なかった一つのエピソードを皆様にご紹介したいと思います。ジラール神父の日記の中に記録されているものです。

横浜天主堂献堂が行われた二週間後のある日、日本人一人の方が天主堂に入り、祭壇の前に跪いたそうです。その人の行動を見続けていたジラール神父が出口のところで、声をかけ、「ご覧になったものの意味はわかりましたか」と聞くと、「いいえわかりませんでした」とその人は答えました。ジラール神父は「では説明をお聞きなさりたいですか」。その人は「はい是非お聞きしたいです」と。次の三日間は、毎日教会に話を聞くため通うようになったそうです。この人は日本の宣教が再開されて以来、初めての求道者となったと言えます。その後多くの人は自信がついていて、説明を聞くために来るようになり、ジラール神父は大きな希望を感じました。しかし、またその二週間後、来ていた人々のほとんどが逮捕され投獄されたので、ジラール神父は非常に虚しい思いをしました。それでも決して宣教を断念せずに試行錯誤を重ねて教会の再基礎付けに努めました。このエピソードは、1865年に献堂されたばかりの大浦教会で起こったいわゆる信徒発見の事件に類似しているように思えます。キリシタンとの感動的な出会いを体験した後に、四番崩れの厳しい迫害が起り、宣教師たちの喜びは大きな悲しみに変わりました。それにも関わらず彼らは希望を棄てずに、宣教の任務を続けたが、苦労が報いられ、神様が彼らの働きの上に豊な収穫を与えてくださいました。 現在不安定な社会に生きている私たちは、150年前の幕末時代と同様に日本の多くの人が確かな愛と希望の道を求め、教会に来ている、あるいは来たいと思っています。だからと言って宣教の明日は必ずしもバラ色のものとなる保証がなく、迫害の日がまた来るかもしれません。そういう覚悟の上、今日の華麗なお祝いに参加しています。この記念の時にこそ今まで頂いてきた恵みのために神様に感謝しながら、明日に強いられる様々な試練や挑戦としっかり向き合うことができ、強い、揺るぎのない信仰と希望が、私たちに与えられますようにお祈りしたいと思います。


パリ外国宣教会 日本管区管区長
シェガレ・オリビエ神父