教区報に掲載されている典礼コーナーから転載しています。
入信の秘跡後の養成(ミュスタゴギア)
教区報89号より
「復活徹夜祭」に入信の秘跡を受けた新しい信者は、聖霊降臨祭までの50日間にわたる復活節の間、入信の秘跡直後の養成を受けます。これをミュスタゴギアと呼びます。
入信の秘跡を受けると安心してか、それまでの熱心さを失って、入門講座を卒業したような錯覚に陥りがちですが、入信はキリスト者としての生活の完成ではなく始まりです。
入信の秘跡を受けてキリスト者となった者は、キリストと共に、目に見えない御父である神の、目に見えるしるしとなって、「秘跡生活」に入っていきます。秘跡とは「目に見えない神の目に見えるしるし」だからです。
具体的には、主日ごとに集い、みことばを聴き、キリストのパンを分かち合って頂き、教会共同体の一員となります。そして、主と共に日常生活の中に派遣されていく、生涯続く信者としての人生が始まります。それは今までとは違った「秘跡=証し人の生活」なので、代父母と共同体に伴われて少しずつ慣れていく必要があります。
また、洗礼を受けると、儀式の上では洗礼の水によって自らに死に、キリストを着て新しい命に生き始めるのですが、実生活においては依然として人間としての古い自分が生きています。従ってそれ以後の生活は、神の思いと人間的な思い、神の子としての生き方と人間の子としての生き方の間にある、葛藤を生きる人生になります。
こうした課題を持ちながら、少しずつ信者としての秘跡生活に慣れていくために、復活節の主日の聖書朗読は、初代教会の新信者の生活が良く分かる箇所が選ばれています。
復活節中のミサの第一朗読では、初代教会が誕生し成長していく姿が使徒言行録から読まれます。そこには主の復活を証しする初代教会の様子が生き生きと述べられています。第二朗読では、A年には「ペトロの手紙」から、B年には「ヨハネの第一の手紙」から、C年には「黙示録」から、信仰に基づく希望に満ちた生き方が示されます。
福音朗読はどの年も、第三主日までは復活されたキリストの出現の場面が、第四主日では「良い牧者」の箇所がヨハネの福音書から読まれ、第五主日以降は、最後の晩餐後のイエスの希望に満ちた遺言が述べられています。そのため、これから生涯続く信者としての道が葛藤の連続であったとしても、主が共に歩んでくださる希望に満ちた救いの道であることが確信できます。
新信者としての養成は「聖霊降臨の祭日」で終わりますが、それ以後も典礼暦年ごとに、神の子としての成長を続け、その歩みは死の過越の時まで続きます。